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流動体について―小沢健二の並行世界と赦し


小沢健二の新曲「流動体について」が先週2月22日発売された。突然のシングル発売だったのでとても驚いた。「春にして君を想う」から19年振りのシングル発売だという。
数年前からライブ活動を再開していたので、日本での活動も馴染みがあったけれど、CD発売の発表がとにかく急だったので驚いた。小学生の頃、「ラブリー」や『Life』を買って以来のファンだったのでとてもうれしい。

私は10年くらい前から音楽はほとんどダウンロード版でしか買わないようになっていたので、今回のシングルはダウンロード発売が無くどうしようかと思っていたけれど、やっぱりCD買ってしまった。Amazonで。

こんな田舎にすぐに届けてくれたクロネコヤマトさん本当にありがとうございます。今の状況は配達員さんにキツすぎるので、配送料もっと払うのでなんとか待遇改善して欲しいと思う。
このブログの普段のテーマとは外れるけれど、「流動体について」があまりに素晴らしかったので、思ったことをブログに書きます。

「流動体について」と並行世界 気になるあの歌詞

「流動体について」の歌詞でドキッとする気になる一節がある。


 
小沢健二「流動体について」

「流動体について」は並行世界をテーマにしているという。オザケンの言う並行世界って
『僕はこの道を選んで今はこっちにいるけど、あのときあの道に残っていればそういう世界もあり得たわけで。』
ってことじゃないかな。単純に。並行世界というのは私達の身近なものだ。
自分の人生の中の様々な分枝する並行世界、そして今ある多様な個々人の並行世界。
私達は皆いろんな可能性、並行する世界の中で生きている。遠くの国で起きたテロや戦争や災害は他人事ではない。自分にも起こり得た可能世界なのだ。

並行世界について想いを馳せることは過去の自分に対する否定ではなく「間違い」を認める寛容さであり赦しだと思う。これはファンに対する優しさでもある。

小沢さんががライブや2014年の「いいとも」出演で過去の自分の曲を歌ってくれたことはとても嬉しかった。アーティストが作風を変えることは仕方ないけれど、過去の自曲を否定して歌わなくなるのはファンにとってとても悲しいことだ。オザケンの新曲は過去の曲と地続きであり、また「詩」のある音楽世界に戻ってきてくれた。


人は、ついつい過去にああすれば良かった、こうすれば良かった、こうして置けば良かったと思ってしまう。どっちが正しいんでもなく、どっちもあり得た。n数の並行する世界がある。でも今いるのは1/nの世界。

サイコロを振ったのは神様かもしれないし、自分かもしれない。

自分の過去は否定したくても否定できない、認めて受け入れるしかないのだ。この選択が正しかったと固執したり、逆に過去の選択をくよくよいつまでも拘泥するのは「間違い」を認められない傲慢さの表れである。並行世界について考えたり、別の選択を認めることは、自分に対しても他者に対しても寛容になり多様性を認めることにつながる。NEWS ZEROで多様性の話をしていたのもこの歌にそういう思いが込められているからじゃないかな、と思った。

この線路を降りたら赤に青に黄に願いは放たれるのか
小沢健二「ある光」

と「ある光」で歌っているようにこの並行世界というテーマは元々オザケンの中にあり、過去の楽曲とも地続きなんだろう。
朝日新聞の一面広告にも書かれていたように、人の人生や歴史、文化って長い時間のなかで連続してつながっている。それは良いこともあるし、うっとおしいこともあるけれど、愛すべき慣性。
小沢健二の歌は普通に暮らしてる人の普通の人生に対する賛歌だ。悲しいことや楽しいこともみんないつか過ぎ去ってしまう、その刹那の切なさ。美しさ。
「流動体について」という歌は、人の人生の終わりや別の人生の可能性を受け入れ、今の人生も否定するのではなく前向きに日々を生きることを賛歌している。そんな気がする。

それが夜の芝生の上に舞い降りる時に
無限の海は広く深く でもそれほどの怖さはない
小沢健二「流動体について」

最初「流動体について」を聴いたとき、この歌はテロや大災害のような”終わり”がやって来ることを歌っているのかと思ったけれど、だんだん聴いているうちにこれは誰にでもやって来る普通の”終わり”のことを言っているんじゃないかなと思った。キリスト教で言う「はからい」。mortalからimmortalな世界へ。
これは私の個人的な解釈で全然的外れかもしれないので、真には受けないで下さいね。
”無限の海”は可能世界の多様性のことを言っているんだろうけど、やっぱり謎の多い歌詞だ。


小沢健二という人は「春にして君を想う」で感じられるように、人より早く人生の先を読み達観してしまうのかもしれない。「春にして君を想う」の歌詞はまるで引退したおじいさんが過去を回想しているかのような詩だった。

そんなオザケンも結婚して子供も2人できお父さんになった。時間の流れがとともに、本当の意味で”大人に”なった。「流動体について」の歌詞には彼の現在の心情が正直に多層的な”物語”として描かれている、と思う。

「流動体について」と「僕らが旅に出る理由」の関係


公式Youtubeチャンネル(MVの配信は期間限定?)

心変わりは誰かのせい
小沢健二「僕らが旅に出る理由」

から始まる「ぼくらが旅に出る理由」は旅立つ恋人を見送る空港へ向かう前の心情を歌っている。
空港→NY
と空間的な移動の描写があるが、『流動体について』は逆に
NY→羽田空港へ
到着するシーンから歌詞が始まっている。

ミュージックステーションで本人が言っていたようにイントロの長い曲と短い曲というように対になっている曲なんだろう。テーマ的にも曲の構造的にも。ストリングスも同じモチーフを使っている?「流動体について」のストリングスは「ぼくらが旅に出る理由」のストリングスと似ている。

小沢健二の歌詞は難しそうに見えるけど、とても素直に正直に書かれているの思う。だからこそ長く長く愛されるし、聴かれている。やっぱりここも愛すべき連続性。
オザケンのことになるとついついエモいことを書きたくなってしまうので、この辺で筆を置きましょう。

【追記】ひふみよ読んだら小沢さんのこんな文章があった。

僕が日本を離れても、『流動体について』はラジオから流れているし、ツアーに来るほどの熱心なファンでなくても、それを耳にして良いなと思う人は、やっぱり僕の聴き手で、そういう人の日常と僕の日常は一瞬交じるのです。無限の海は広く深く、でもそれほどの怖さはない、と。

「無限の海は広く深く、でもそれほどの怖さはない」このフレーズの意味は、この世界に生きる人々のそれぞれの”並行する”人生が交差するという意味なんだろうか?ただ、怖さっていうのが引っかかる。もしかしたら小沢さんがしばらくぶりに表舞台に立ち”多様な”世間の人々と向き合う(大衆の前に出る)ということに対して”それほど怖さ”はない、ということなのかもしれない。

あとこの歌の重要なテーマである「都市」についてここでは書いていなかったので追記。「言葉は都市を変えていく」のというのは、物語や神話から連なって現在の都市を成立させているという意味だと思う。人々の生活は神話の時代からの連続性で出来ている。小沢さんはスッキリで「流動体について」という曲について「おはなし」「短編」のようなものと語っていた。
うーん、やっぱりこの歌は難しいぞwでも、歌詞は何故かしっくりと心に響きます。
「流動体について」MV

引用歌詞の曲線に沿った文字並びCSSについて

「もしも 間違いに気がつくことがなかったのなら?」の歌詞引用の曲線は画像じゃなくてCSSで表現しています。自分でつくるのは大変なので「CSSWARP」というCSSジェネレーターを使っています。
csswarp.eleqtriq.com
面白いのでぜひ使ってみてください。

オザケンリンク

Kenji Ozawa 小沢健二 Official Site ひふみよ
小沢健二「流動体について」特設サイト
natalie.mu

メディア出演で岡崎京子さん関連の話題が出るらしいけど3月1日のスッキリかな。
www.indoor-joshi.com
確かにオザケンのWEB展開は一昔前のそれだw
biftech.hatenablog.jp

菊地成孔さんがラジオでオザケンの「流動体について」のサビについて語っていました。「ドドレレミミファファソソララシシドド、ミド~♪」になっているっていうw
菊地成孔 小沢健二『流動体について』を語る

※本記事に書かれている小沢健二作詞の歌詞は著作権法上に認められた引用として使っていますが、引用の要件を満たしていないということであれば修正するか削除します。
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